子どもは子どもなりの例え

先日、ライブの前にコンビニに行った時の話。腹ごしらえのためにパンとコーヒーを買ってレジに並ぶ列に加わった。コンビニは混んでいて、列は長くなっていた。僕はドリンクコーナーの横に立っていて、前には子連れのお母さんが並んでいた。その子どもがドリンクコーナーを見て、指を指しながらこう言った。
「すべり台みたい」
コンビニのドリンクコーナーは、知っての通り、ドリンクを陳列する棚が緩やかな傾斜になっていて、お客さんが1番前のドリンクを取ると、傾斜に沿って後ろのドリンクが前に押し出される。そのすべり落ちてくる様を見て、すべり台みたいと言ったのだと思う。

作詞をする時によく「例え」が使われます。「◯◯みたい」「◯◯のようだ」。
どんな言葉を例えに使うかはその人によりけり。だけど、その言葉が出てくるかどうかは、その言葉をまず知っているかどうかだし、すっと出すためには手の届く範囲にその言葉がいつもなくてはならない。

「すべり台みたい」と言ったその子どもの例えが、素晴らしいと思ったのと同時に、「何かに似ている」と感じる感覚は、学校で比喩の勉強をしたから身につくのではなくて、生来人の体に備わっている感覚なのだということを目の当たりにして感じた。
使う言葉についても、子どもは子どもの周りにある言葉を使う。僕は思わず「自分なら何と例えるんだろう」と思った。そして「すべり台は出てこなかっただろうな……」と。

自分が使ってる言葉で、自分の環境がわかりますね。年齢や性別も、趣味や性格もわかっちゃいそう。

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