美術館の解説パネルを見習う

思うこと、感じること

振り返ってみると、小難しいと思っていたものと自分とを繋げてくれる存在が必ずありました。繋がる時に必須なのが「文脈」。文脈を理解すると、本体への理解や愛着が深くなっていきます。存在感を浮き立たせる、文脈はまさになくてはならない影のような存在です。

苦いコーヒー、スッと入らないJazz、知識も何もない美術作品、眠くなるような本。それらに興味を持たせてくれた存在は、人だったりテレビだったり活字だったりと様々で、与えてくれたのは、わからないものをわかるための糸口、そして、深く感じるための文脈でした。

私事ですが、この間『クリムト展』に行ってきました。久しぶりの上野は東京都美術館。「文脈」の力を感じる瞬間が美術展にはあります。

美術展には大抵「解説パネル」というものが付いています。展示企画の趣旨、作者の創作経緯などが書かれた大きなパネルです。美術の知識がない人にもわかるように、作品に施された技術の説明が書いてあることもあります。

僕は絵画の知識がありません。それでも解説パネルを読みながら絵を観ていると、だんだん作品の見どころがわかってきます。画家が挑戦した新しい技法、それまでの流れを断ち切る決意の表れ、特別に見出したテーマ、被写体への思い、時代背景。

当たり前ですが、作品には必ずその作者がいて、重い軽いはあれど作った理由も必ずあるはずです。その作った理由が複雑なほど、また経緯が長いほど、作品を理解するための文脈もまた長くなります。

文脈が長くなるということは、それだけ観る側にとって理解しにくいものになるということです。実際、世の中にはそういうものがたくさんあります。直截的に理解できるものだけではなく、文脈を持ち合わせていないと理解できないものです。

ここでようやくタイトルの話になるのですが、僕はアーティストとして日々作品を作っています。その活動の中で度々陥ってしまう悩みがひとつあります。それは「自分が作っている作品は人に理解してもらえるだろうか……」という悩みです。

この文章の流れでもうわかると思いますが、僕がその悩みに陥った時にとるべき行動は、「わかりやすいように作品自体を変える」ではなく、「作品自体は自分の思い通りに、ただ文脈をしっかり伝える努力をする」ということです。作品自体を変えてしまったら、それはアーティストではなくビジネスマンです。

自分の意図を貫き通す。ただ、社会の一員であることも忘れない。作品の意図と文脈は、言い換えれば、自分を大切にすることと人への思いやりかもしれません。

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