
小学校1年生の頃、家庭の事情で韓国で暮らすことになり、2年半ほど僕は韓国の小学校に通っていました。その時に出会った学校の先生のことを今日ふと思い出したので書きます。
僕が覚えている先生は2人いて、男の先生と女の先生です。どちらも自分の担任の先生で、1年目が男の先生で2年目が女の先生だったような気がします。
まず男の先生の記憶。その頃の記憶の大半はぼんやりしているので曖昧な部分が多いのですが、ある日、男の先生は僕に「日本語をひとつ、朝のHRでクラスのみんなに教えてください」と言いました。
最初の朝のHRで、僕は適当に日本語をひとつ選び(何を選んだか忘れましたが)「○○(日本語)は□□(韓国語)だよ」とクラス一人一人に教えました。黒板の前で全体に言えばよかったのに、僕はなぜか一人一人の席を回りながら「○○は□□だよ」と同じことを何度も言って回りました。みんなの前で言うのが恥ずかしかったからなのか、やり方を知らなかったのかわかりませんが、そういう方法をとったんです。
今思い出すと、2度目の記憶はないので、それっきりその「日本語教えの時間」はなくなったのかもしれませんが、ただその席を回って教えた1回の記憶だけは、ずっと残っています。
当時の僕としては、先生のその提案が実は嫌でした。断ることも知らないし、「さあ、どうぞ」と言われてやるしかなかったからやったという感じです。
でも、大人になった今このことを振り返ると、先生はきっと純粋な気持ちで日本の文化を知らせたかったんだと、みんなのために、そして日本から来た僕を尊重するためにも、良いことをしたんだとわかります。
「差別」という言葉を、親以上の世代から経験談として聞いたことはありますが、僕自身はそういう扱いを受けたことはありません。この男の先生の話も、当時の僕は嫌だったけれど、冷静に振り返れば、どう捉えても差別や嫌味とは思えません。むしろ尊重です。先生は外国人の僕を大切にしてくれたんだと思います。
次の女の先生の話は、当時の僕としても良い思い出として残っています。顔は覚えてないんですが、若くて綺麗な先生だったと思います。
言い忘れましたが、韓国で過ごしていた時、僕は日常会話レベルですが韓国語がペラペラでした。友だちと普通に韓国語で話して遊んでいましたし、親とも韓国語で話していた気がします。
話すのは問題なかったんですが、書くとなるとちょっと難しくて、発音は同じなのに違う書き方をするもの、日本語で言えば「手紙を誰々さんへ」の「へ」みたいなものです。「へ」と書くべきか「え」と書くべきか。そういう間違いをよくしていたので、その女の先生は、なんと、僕のために休みの日に特別授業をしてくれたんです。
これもまた細かいことはまったく覚えていないので、どのタイミングで、どうしてそんなことができたのかは覚えてないんですが、とにかく普通の授業ではない時間に、学校の教室でマンツーマンで書き言葉の授業をしてくれたんです。
大きなマス目のあるノートに、先生が言った例文をハングルで書くということを繰り返しました。さっき言った「へ」みたいな文字をずっと間違えて書いていたことも覚えています。というか、どっちが正解なのかもわからずあてずっぽうに「へ」だとか「え」だとか書いていたことを覚えています。
そうして、何日かその特別授業に通ったある日、いつものようにまた特別授業のために教室に行くと、先生は「あら、また来たの!」と言って笑いました。そこに他の先生がいて、「きっと先生のことが好きなのね」と茶化されたのも覚えています(あるいは職員室だったのかも)。前の回に「もう終わり」と言われていたようですが、僕はそれがわかっていなかったんですね。
特別授業は終わって、正直「『へ』と『え』どっちか問題」はいまだにわかっていないんですが(笑)、先生がそういうことをしてくれたということだけは覚えています。普通の授業の内容は何ひとつ覚えていないんですが、先生がしてくれたそのことはずっと覚えています。
どうして僕はこの2人の先生の出来事を忘れずにいるのか。忘れてはいけない重要な記憶のような気がします。
先生というのは不思議な職業ですね。モノを教えるのが先生の仕事なのかもしれませんが、人が覚えているのは、教わったモノではなく、してくれた行動の方なのかもしれません。
2025.11.3