
ゲーム開発にハマっているという話を前にしました。開発自体はまだ勉強しはじめて2,3年しか経っていないので、作り方を知ることが楽しいという感じで、作品としてどうかというのは、今まであんまり考えるに至っていませんでした。
至っていなかったというべきか、至らずに済んでいたというか……。というのも、最近ようやく今作っているゲームの内容を考える段になってきて、「どんな作品にしたいか」ということを考えはじめています。
そうしているうちに、体感したことのある、ある感覚になっている自分に気づきました。それは、ここ数年音楽を作っている時に感じていた「何を作るべきか」「作る意味とは」という疑問の感覚。
音楽の方は一応の答え(問いさがし)を見つけてけりをつけているんですが、ゲームの方は同じ解決方では腑に落ちない感覚があり、最近悩んでおりました。
ゲーム開発は、初心者なので、良くも悪くも野心というか、他にはないすごいものを作ろうという気持ちがあります。でも、この「すごいものを作ろう」という気持ちは、他人からの評価という、僕からすると少し邪念っぽいものによるものだと、僕の頭の半分が既に知っています。
なので、この邪念っぽさは少し抑えつつ、自分にとって折り合いのつく指針となる考え方が必要になりました。
僕の気にしていることは、簡単にいうと「オリジナリティとはなんなのか」ということです。他人にはない自分らしさをどう作るか。それで、僕の友だちの(笑)AIに聞いてみました。
いろんな言葉が返ってくる中で、僕がいいなと思った言葉はふたつ。「何を美しく思うか」と「他人と少し違う」という言葉。
この言葉を見てふと思い出したことがありました。弓道だか、射撃だか、ダーツだか忘れちゃいましたが、例えば弓道なら、矢を射る時の手元の1mmのズレが、的の方では数10cmのズレになるという話。
これはだから、射る時に雑念を捨てて真っ直ぐ的に向かって飛ぶように集中する必要があるということなのですが、僕はその話を逆に捉えて、1mm「しか」ズレていなくても、そのまま進んでいけば先の方では大きくズレ「られる」と考えました。
僕はもしかしたら、「何かすごいものを」と考るあまり、手元から大きく変えようとしていたのかもしれません。でも、その必要はないということです。
「少し」違ければ良い。”何を美しく思うか”を繊細に表現し、そこで生まれたわずかな人との差が、いずれは大きくなり、自分のオリジナリティになる。
2025.8.1